祖父の入院で祖母の認知症の大変さが分かった話

2016年末に起こった出来事を何回かに分けて書いているシリーズ、5回目です。

前回は、祖父が入院した後、急に徘徊するようになってしまったことを書きましたが、今回は、祖父が入院した後の認知症の祖母の様子などを書きます。

正直、病院で混乱している祖父よりも認知症の祖母のほうがずっと大変でした。

>>>前回の記事はこちら(祖父の入院時の徘徊について)

認知症の祖母は…

祖父が入院してからの祖母は、とにかく

「じいちゃんがいない、じいちゃんがいない」

と言ってました。

こちらが何度

「○○病院に肺炎で入院しているけど元気だよ」

と言ったり、筆談で書いた紙を渡しても、

「そんな話、初めて聞いた!誰も教えてくれない、悲しい…」

といいつつ、

「病院に今から行く、看病に行く」

と言って聞きません。

「病院にお年寄りが行ったら危ないからダメ」

みたいに言ったり、書いた紙を渡したりするとなんとか一旦はおとなしくなるのですが…

数十分後にはまた、

「じいちゃんがいない、じいちゃんがいない」

と、エンドレスです。

これが毎日毎日、朝から晩まで続きますから、とんでもない状態でした。

朝から晩まで、だけではなく…

いや、朝から晩までではなくて、深夜の3時とかに起きてきて母親と言い争いしていたこともありますね。

なんだか夜中に、すごい怒声みたいな泣き声みたいな良く分からない声で目を覚ましたら、祖母が母親を起こして、祖父について色々聞いたらしく…

あまりにもしつこいので、母親が泣きながら怒鳴っていたみたいです。

…なんていうか、色々と限界ぎりぎりな状態だったのが分かると思います。

祖父のお見舞いにいった祖母の様子

そうそう、実は一度だけ祖母も、私や母親と一緒に、祖父の病院にお見舞いに行ったことがあるのです。(もちろん、母親の自営業が休みの日曜日ですけど)

前回の日記で書いた、徘徊騒動もひと段落して、祖父もある程度落ち着いて元気になっていたので。

その時は祖母も結構普通にしていて、病室のベッドで横になっている祖父と握手しながら、

「じいちゃん、早く戻ってきてね」

みたいな感じのことを言っていたのを見て、ちょっと感動すら覚えたものですが…。

まあ、お察しの通り、家に帰ってから数十分すると、

「じいちゃんがいない、じいちゃんがいない」

です。

お見舞いに連れて行ってた日以降は、

「○○日に一緒にお見舞いに行ったよ」

みたいなことを行ったり、書いている紙を渡したりするのですが、それでも、

「そんな話初めて聞いた!」

ですから。

…認知症って本当に怖くて大変だ、と思ってしまいました。

正直、何度も繰り返すのは辛い

なんていうか祖母本人は本気で分かっていないのでしょうけど、何度も何度も繰り返し同じことを聞いてこられるのは、流石に精神的に厳しいですね。

いくら筆談というか、答えを書いた紙を渡すだけとはいえ、その都度渡すのさえ嫌になってきます。

もう私も母親も、気が安らぐ時がないぐらい、疲れていたのを覚えています。

ああそういえば、書くのを忘れていたのですが、疲れてるのは祖父や祖母の相手をしているだけではなく、入院中の父親の件もあったのです。

それに関しては次回書きますね。

>>>父親の入院中の態度について書きました。